日記

 

久しぶりの更新。

 

昨晩寝る前に母親が「どうせ明日起きないだろうから今・・・(バイト)気を付けていってらっしゃいませ」と言ってきた。最近親が子を外に送り出すときの気持ちについて考えていた。私の親はかなりの心配性なので、心配をかけるような夜遊びなどはしたことがないのだが、それでも色々と家を出る際には口うるさい。「傘を持って行け」だの「厚着していけ」など・・・。年を少しは重ねたせいなのか、その口うるさい小言が最近はなんだかとてもうれしい。涙すら出そうになる。本当に当たり前のことしか言えないけれど親は子供のことを本当に大事に大切に思っているのだろう。周りには自分は親から愛されていないという人が沢山いるけれど、本当にそれはそうなのかと疑問に思う。こういってしまうと「毒親を持たない奴に何がわかるのか」なんて言われてしまいそうだけど。親子の問題は出来る限り他人が首を突っ込むべきでないと思っているので、むやみに「それでも親は大切にしなきゃ」とは言えないけれど、親を憎んでいる人を見るとどうしてもやるせない気持ちになってしまう。

 

私は親のことをほとんど知らない。どんな風に生まれ、どんな風に育ったのか。知りたいような気もあるし、知りたくないような気もする。それでも生まれてからずっと一緒にいるとなんとなく、母親の歩んできた人生の片鱗のようなものが見えたりする。雰囲気だけに限らず、ふと漏らした言葉、まなざしの一つ一つが母が語りたかったであろうことを暗に体現していた。それは今でも時々あるし、これからもずっと続いていくのであろう。お互い核心をついたことを今まで一度も話したことはないけれど、きっと今はそれでいいのだと思う。むしろ一生語られなくても良いとも私は思う。母が語りたくないのならばそれで良い。でもあのふとした瞬間のことを忘れず一つ一つ積み重ねて私なりの母の物語をイメージすることが出来ればいい。

 

 

日記

11月18日

 

この頃夜遅くまで色々と考えてしまい寝れないことが多い。まったく寝れないわけではないのだけど、夜中の3~4時に寝て何回も起きたり寝たりを繰り返すような感じ。そのせいか体がだるい。風邪を引いたようだ。私は季節の変わり目にかならず一回は風邪を引くので慣れっこなのだけど、それでも毎回風邪のときに弱気になってしまうのを防げない。ぐったりしているので体を動かす気分転換もできない。まあ仕方ないのでプラシーボ効果を狙いつつ葛根湯を飲みまくっている。

 

離人症ではないのだけど、自分は離人感が結構あるほうだとよく思う。以前どこかでもツイートしたのだけど、私は思い出信者なところがあるので見ている景色を常に目に焼き付けようと必死になってしまう癖がある。そのせいか、景色を一歩離れたところから見ているような気持になる。言葉も会話も笑い声も一瞬の時間のなかに投げられたものとして感じてしまう。注意深く見ているせいか、確かに記憶にはどうでもいいようなことまでしっかり残っていたりする。しかし問題なのはそのことが起きている実際の瞬間を心から楽しめないことだ。熱狂とかそういったものに自分は少し憧れていたりする。未来のちょっとした回想の楽しみのために時間を無駄にしているのか上手に使えているのかよくわからない。おそらく自分は一生を壮大な物語のように考えていて、細部までしっかり書き留めておきたいのだろう。一度書き込んだディティールは変更出来ないものだけど、書き換えられないがゆえに変わった形に変わっていく姿もまた面白いものだと思っている。そうしたディティールを大切にしたいし、こじらせているなんて言葉で終わりにしたくはない。

 

日記

 

11月9日

 

朝、9時頃に起きてパンを食べクノールのコンポタを飲む。食卓にベーコンとプルーンの入っている不思議な味のするパンがあったのだが、生ハムメロンみたいなものだろうか。意外と美味しかった。12時からレッスンだったので急いで着替えを済ませ、家を出る。

 

11時頃、新宿のミルバでボルドーの巻スカートを購入する。時間がなかったのでレオタードだけでも良いかと思ったのだがやはりちょっと恥ずかしいので、買うことに。大人向けの巻スカートは結構種類が沢山あったのだが、またしてもボルドーを選んでしまった。ここのところなぜだがボルドーがお気に入りである。自分は黒が好きなので、黒系の洋服を着ることが多いのだが、その際にもよくワイン色のスカートを履いたりする。組み合わせやすい上に大人っぽく見えるから好きなのだ。ボルドーにも微妙にブランドによって色味が違うのでそれを楽しむのもまた良い。ワイン色は肌にもよく馴染む。大学に入ったばかりのころ、嶽本野ばらの『シシリエンヌ』を読んで影響され爪を暗いワイン色のマニキュアで塗っていた時期があった。(この小説の主人公の恋人がそうしていた。その描写がとても素敵だった)真っ赤なのも今の流行りではあるが、赤りんごのような赤はどうしても子供っぽさが出てしまうのであまり好みではない。少し濁っていて底に腹黒さを含んでいるかのようなボルドーがやはり好きである。

 

12時、やや道に迷い遅れそうになりながらもなんとかバレエスタジオに辿りつく。着替えを済ませいざレッスン。今日は腹式呼吸→ストレッチ→筋トレ→センターレッスン→ポール・ド・ブラ→プリエ→タンデュをやった。一番きつかったのは前半の筋トレ部分である。自分は足の筋力が弱いと思っていたのだが実際にやってみて腹筋のほうが全く力がないことを実感させられた。寝そべったまま両足をあげて、揃えて8カウントで床にゆっくり着地させるというストレッチではお腹の筋肉が恐ろしいほど震え恥ずかしかった。だが、プリエやタンデュは初回にしては上手くできた。家で変なダンスを踊り狂っていたおかげで足さばきというか、足の稼働領域が広くなっていたようである。ともかく今日はタイツとバレエシューズの履いた自分の姿に酔っていた時間が多かったので次回はもっと背筋を意識して集中してレッスンを受けたいと思う。

全身の筋肉を使ったので明日の筋肉痛が怖いが、とても良い運動になった。おもいきってバレエを始めて良かった。

 

 

お昼にはなまるうどんを食べる。なんとかけ小が190円になっていた。しかしどうしてもうどんが食べたかったので入ることに。またもやここでびっくり、おつゆを注ぐのもセルフサービスになっていた。値上げするのだったら汁くらい注いで渡してくれてもいいのでは・・・と思わなくもない。ぼーっとしながら注文をしていたので店員に汁は自分で注いでくださいと言われたとき咄嗟に、目の前にあった謎のタンクに手を伸ばしかけて止められたので恥ずかしかった。汁のレバーはレジ近くにあったのだ。トッピングにはいか天とねぎをたっぷり乗せた。ねぎが乗せ放題ということにテンションが上がってしまい自分のコスパのよさを思い知る。ところで私はうどんを食べるときはいつも大量に七味唐辛子をかける。大量にとはいっても偏食の人ほどではない。天かすや揚げ物のまろやかな旨みと、七味の辛さが調和する程度にである。それでも人から見たら結構な量をかけているらしく、人と一緒に食べに行くとぎょっとされる。今日は一人なので思う存分かけて食べた。寒かったので最初の一口ががほんとうに美味しかった。一口一口じっくり味わって食べた。300円のうどんで私は満足できる人間である。

 

明日はこだわりのコーヒーの淹れ方についてでも書きたいと思います。

日記

11月8日

 

朝、7時40分に起きてカレーを食べて登校する。朝日がまぶしくて仕方なかったけど電車の中で単語帳をパラパラする。電車の中の日差しほど鬱陶しいものはない。ところであの時間の準急に乗っても1限に間に合うのはなぜだろう。この頃学校に向かうまでの途中ずっと「星の綺麗な夜」の「いつ死んだっていい~…」の部分を延々とリピートして聴いている。毎日同じ曲を聴くのはうつ病になるらしいので止めよう。講義の内容はヘーゲルの続きだった。マルクス読書会で何回もやった部分なのでいつもよりはまともなリアクションペーパーが書けた。世界精神の話が好きだ、最後に見せられたヘーゲル夫婦の墓の写真が心にぐっときた。ヘーゲルを支えた妻ってどんな人なのだろうか。悪妻だったら面白い。哲学者の墓参り一度はしてみたいと思う。お供えものに何が置かれているのか。2限は出ずに鮭おにぎりと、エクレアを食べて自習室へ行く。昨日からなぜかエクレアが食べたくて仕方がなかった。3限まで籠る。

 

3限の授業では前回に引き続きバランシンのバレエを見る。バランシンのバレエには、古典的なもの(チャイコフスキーの曲で踊るものなど)・ブラック&ホワイト(レオタードだけで踊るシンプルなもの)・アメリカンバレエの3つがあるらしい。今日はそのなかのアメリカンバレエを見たのだが、Star and Stripesという演目が衝撃的だった。バランシンのバレエはフィナーレの部分が大群での回転(名前があるのだろうけどわからない)で終わるのはなぜだろう。すごく恰好良い。前回見たウエスタンシンフォニーもすごく良かった。どう良かったのかと聞かれるといまいち分からないが、ウエスタンな曲でバレエを踊るというのが斬新で面白いと思ったのだろう。ウエスタンな曲といえば、私が高校生の時に行ったアメリカで何回も歌わされた歌があった。行ったのはテネシー州のド田舎だったのだが、そこの州歌である。「Rocky Top Tennessee」という曲なのだが、一度聴くと大体の人がディズニーランドで流れていそうとか言う。まあ本当にその通りで、私たちが想像するウエスタンそのものみたいな曲だ。耳にも残りやすい。気になったらぜひ一度聴いてみてほしい。Sweet as a Soda popなんて歌詞があるところなどほんとアメリカ的である。ださい。いずれにせよこの曲を知っておくとテネシー州の人とは仲良くなれるだろう。ケンタッキー州のことは知らない。

 

あともう一つあのラヴェル作曲のボレロのバレエを観た。10分弱のバレエなのだけど、上半身の表現力が半端ではない。ボレロといえばまたまた回想で申し訳ないのだが、この日記は自意識日記なので遠慮なく書かせてもらう。ボレロで思い出すのはデルトラクエストだ。小学生のころ流行っていたファンタジーだ。あのどぎつい表紙のイメージが強い人が多いかもしれない。小学何年生だったかはもう覚えてないが(おそらく4年くらい?)、当時これを聴きながら読んでいた。誰しも聞いたことがあると思うので言うまでもないがボレロは淡々と同じ旋律を繰り返していくだけの曲である。しかしそれがいい。狂うことなく延々と同じリズムでたたき続けるドラムの音が魔物のように聴こえて、当時の私は想像力が掻き立てられる曲だ~なんて思っていた。同時期にツィゴィネルワイゼンもよく聴いていたことを今思い出した。これもおなじみの曲だが、私は最後2分くらいの一番盛り上がるところが好きだった。前半のジプシー音楽にありがちな暗い部分も嫌いではないのだが、私はやはりジプシー音楽のいいところは明るい部分にあると思う。盛り上がり方が独特で勝手な妄想にすぎないが魔女の集会の音楽のように聴こえる。しかし本当に魔女の集会っぽい音楽ナンバーワンはファリャの「恋は魔術師 火祭りの踊り」である!これは私の小学校の給食の時間によく流れていた曲だ。その怪しげな旋律にとても惹かれていたのだが、義務的に音楽を流していただけの放送委員会は気が利かず、曲名を決して言ってはくれなかったため長年タイトルが分からなかった。偶然つい最近、ファンタジーっぽい曲まとめかなんかで名前を知ることが出来たのだ。なぜ放送委員会がこれをセレクトして流していたのかはいまだに謎だが、おそらく委員会の人も結構気に入っていたのだと思いたい。というのもいかにも子供が好きそうな旋律でもあるからだ。流しておけばウンババダンスみたいなのを踊りだす子供がかならず一人はいると思う。

 

ところで明日ようやくバレエを始める。何よりも心配なのは土踏まずがつってセンターレッスンのときに立ち往生しないかである。少しは足を鍛えようとここ最近意識的につま先を伸ばすようにはしていたのだが、やはり一定の力を加えると悶絶するほど痛くなる。伸ばし方もきっと正しいやり方があるのだろう。とにかく緊張して仕方がないが明日はいつもよりきつめにシニヨンを結って気を引き締めて、14歳のバレエ少女になったつもりでレッスンに出かけたい。バレエが上手く踊れなくても優雅な所作とか視線のやり方とか、綺麗な姿勢が身に付くことを願う。

 

今日の日記も読み返してみていまいちなので日記も辞めにしようかとさっそく思いつつある。

 

 

 

 

 

日記

11月7日

 

朝、12時半頃起きる。やたら反抗的な喋る猫の大群と戦う夢を見た。文字にすると滑稽だが本当に怖かった。ここ最近夢見が悪すぎる。寝る直前まで携帯をいじっているのがよくないのか。本来なら4限に授業があるのだが、楽単なので自主休講とする。最近講義に出た記憶がない。置いてあったデニッシュとクノールのスープを飲み、某氏の家へ向かう。某氏の家が最近第二の家と化している。来週は絶対休まないで大学行こう。

 

サボった後ろめたさがあるとはいえ平凡な日常を強く意識できるのはとても幸せなことだ。ゆっくり寝て、焦ることもなく食事をし、好きな人とのんびり過ごす。家に帰ったら暖かいお風呂と食事が用意されていて。毎日毎日同じことの繰り返しだけど、それが本当にありがたい。ありがたいのだけど、毎度おなじみ私の憂鬱病がここにも巣食っていたりもする。穏やかな日常がなくなることへの恐怖とかっていうよりは、しんみりと悲しさが滲んでくるといった感じなのだけど。人が温かい目をするときにもそういう物悲しさみたいなものが含まれている気がする。他に形容するとするなら雨の日の神社とかで感じるようなあの雰囲気みたいな。幸せとそれを支える影?みたいなものが同時に存在しているような感じ。ハッピーライフbotかなんかに書かれていそうな言葉だけど「今楽しいのはつらい時期を経験したから」だからなのか。過去の経験をそんなに日常のなかで意識してるとは思えないけど。というかそんなに辛い経験など何もしていないのだけど。いずれにせよ、平穏な毎日はどことなく私を不安にさせる。「幸せすぎて怖い」とはまたちょっと違うのだけど。だからといってまた忙しい日々に戻されるのは御免こうむりたい。そういう日々を過ごしているとついついボーっとしてしまう。「暇と退屈の倫理学」に私がよく陥るボーっとしている状態はなぜ起きるのか?みたいなことが上手く書かれていたような気がするが忘れてしまった。自分はよくクールだと言われるのだけど、その人は多分ボーっとしている状態の私をよく目撃しているからなのだと思う。

 

帰りにスペシャル中華そばを食べる。メンマとチャーシューがすごく柔らかくて美味しかった。ラーメンを食べてばっかりだと言われたが、その通りで私は麺類が結構好きだ。特にサンマー麺のようなさっぱり系かつ、とろみのあるようなやつが。でもあまり量は食べられないので、いわゆる家系とかのそういう店には入ったことがない。日高屋とか冷凍食品のラーメンをちびちび食べるのが好きだ。冷凍食品のは麺を私好みにクタクタになるまで煮込むのが楽しい。それを誰にも邪魔されず自分のペースでいいともなんかを見ながら食べるのが最高だ。家に帰ってからはカレーを食べた。なんだかんだで親の作るカレーは美味しい。特に凝っているとかいうわけではないけど、辛すぎず甘すぎずで、自分の口にとても合う。朝食べてもよかったのだけど、ここ最近体重が減っているので心配させないために食べた。お腹がはち切れそうだ。

 

今日の日記は自分で読み返してみてもあまり面白くない。なので今日も思い出したことを一つ書いてみる。子供のころ私は想像力の豊かな子と思われたくて、よく大人にそういうアピールをしていた。例えばリンゴを食べているときに目を閉じて「こうするとリンゴの国に行ったような気がするの」とくるくる回ってみたり。今思えばとんだバカだが、そういうあざといことを沢山してきたせいでシニカルなほうの想像力はぐんぐん伸びた気がする。以上。

日記

11月6日

 

今日は一日休みの日。朝11時半くらいに起きて酸辣湯麺を食べる。昨夜は気分が滅入っていたので安定剤を服用して寝たのだが、そのせいか悪い夢を見た。(車で海に突っ込んだ)夜中に目が覚めると自分の部屋でも怖い。なので私はいつも枕元にiPodを置いて寝ている。夜目が覚めてしまったらなるべく時計を見ないようにして、ラジオを小さな音で流す。聴きなれた音楽では自分はどうも眠れない。話の内容はなんであれ人の会話を聞き流していたほうがよく眠れる。そういえば中学生の時に気に入っていたアーティストのラジオ番組を過去8年分くらいダウンロードして夜な夜な聴いていたことがあった。その頃もあまり友達がいなくてぼんやりとした日々を送っていたのだが、その時間だけは癒しだった。友達と会話してるような気がした。布団の中で毎晩笑いをこらえていた。今もその番組はやっているのだが日曜深夜3時オンエアーということもあってなかなか聴けていない。(電波が入りにくい局というのもあるのだが・・・)そんなわけで私はラジオが結構好きだ。あとぼんやりと思うことなのだけど、ラジオをよく聴いていると会話のキャッチボールが上手くなるような気がする。ここ最近ザッピングしてて面白いと思ったのは北朝鮮に拉致された人の体験談。聞き入っていたはずなのに途中で寝落ちてしまったが・・・。昭和の歌謡曲特集的な番組もわりと好きだ。たまにやっているNMB48とかのライブ中継?みたいなのも新鮮で面白い。逆にうんざりするのは、「ふつおた」コーナーみたいなやつ。つまらん。

 

 

石鹸。最近石鹸をまったく買っていないことに気がついた。クソ高校生だったころ森茉莉の何かのエッセイを読んで鴎外が「肌には何もつけないほうがいい。肌そのものの香りがいい」みたいなことを言っていたのに影響を受け、シンプルな成分で出来たアレッポ石鹸なんかを買って体を洗ったりしていた。アレッポ石鹸はシリアの伝統工芸品らしいが、まあそんなことはいまいちよくわからない。ビオレを拒んで、アレッポ石鹸を使い浴室でドロドロに溶かして怒られたりなどした。森さん家の肌トークは面白いので好き。繊細すぎるところが。肌のことをそれこそきめこまやかに語ってる。オオ・ド・コロオニュを水に何的か垂らして美少女の体を拭く描写はサイコー。いつかやってみたいと思うのは卵白と何かの粉?を使ってする洗髪。まったく想像できん。……この話をすると高校生のころ好きな種類の本は耽美派です☆と言っていたことを思い出してしまうので精神的によくない。以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

朝、寝坊する。2限の単位大丈夫なのか。トマトクリームパスタを食べて学校へ向かう。自習室でめずらしく集中力が続いてフランス語を3時間ぐらいやる。やっと文法本が一冊終わった。初級文法なのでそんなに難しくはないが、やはり時間をかけていないせいかスペルの間違いが多すぎる。まあ試験自体は記述ではないし読めれば問題ないのだけど。ある程度の分が読めるようにはなったけど、まだまだ単語力が恐ろしく足りないので早急になんとかしなければならない。

 

最近どうもストレスが上手く発散できていないように感じる。原因はわかっているのだけれど、そう簡単に解決することも出来ない類のものなので悩ましい。美味しいものを食べたり、映画を見たりすれば一時的に気は紛れるけどやはり我に返ると虚しさを感じる。ストレス解消のためにしたことが余計にストレスになってしまうパターンが多い。なるべく新たなストレス要因を作らないように、遊びも浪費するようなものを選ばないようにしてはいるのだが・・・。心から満たされてると感じるストレス解消法ってのはそうそうないわけで。考え込みすぎないで楽しめばいいんだろうけど、考えすぎちゃう性格はどうしようもないのだから仕方がない。ブランコとか乗りたいな。とりあえずここのところ一日一袋グミを食べているのでそれなりにイライラしているのだろう。白糖中毒はよくない。

 

ミゼレーレの思い出。小学生のころ愛知万博に家族で行ったのだが、新幹線で名古屋に向かう前日、母からクラシックのCDを貰った。あのころはクラシックブームが起きていて100曲収録されて4000円みたいなCDが多くリリースされていた。その中に教会ミサ曲だけを集めたものがあった。とりあえず小学生の私はCDをiPodに落とし、なんとなくピンとくる曲を探していた。そのときに出会ったのがミゼレーレである。誰しも名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。例のシスティーナ礼拝堂で歌われるミサ曲である。門外不出の曲であったがモーツァルトが一度聴いただけで全て暗記し、楽譜に起こしたという逸話は有名だろう。なんというか子供ながら、聴いてすぐにこの曲はふつうの曲じゃないと感じた。それから愛知万博を楽しんでいる間もふとした拍子に頭の中でミゼレーレの一節を反芻していた思い出がある。ソプラノの綺麗な天国を思わず信じたくなってしまう美しい曲。今でももの悲しい気持ちになった時に聴きたくなる。なんとなく思い出したので書き起こしておく。