4月16日

 

人は一体どこまで日常を深く見つめているのだろうとふと思う時がある。学生や社会人、専業主婦やお年寄り。世界にはさまざまな人がいるが、年齢とともに何かをじっと見る力は増していくのだろうか、それとも減っていくのだろうか。ここで私がいう「見つめる力」というのはただじっと物を見るだけではなく、ある種の感性的なものを感じ取ることの出来る力である。それは子供であっても可能だろう。たとえば子供は蟻の行列を見ただけで、その蟻の家族、働きぶり、そして蟻の性格までをも想像することが出来る。空想は子供にとって一つの価値観の構成要素に十分なり得る。大人も想像力が豊かでやや夢見がちな人ならばそういったことを思い浮かべることはよくあるだろう。大人になれば物心がついているぶん、子供のころに思い浮かべたような突飛な空想はさすがにしなくなるが、それでも思わず自分でもくだらないなと思ってしまうようなことを想像してしまうことはあるだろう。ジェイン・オースティンの娘達などまさにそのパターンで(わけのわからない例ではあるが)空想で物語を無理やり押し進めてると言ってもよい。オースティンの特徴的な文体としてあげられる自由間接話法は、空想の世界に読者が上手く浸ることができるようにするための魔法である。やや話がそれたが、「見つめる力」は思っている以上に大きな影響をさまざまなものにもたらすものだと私は思う。「見つめるあなた」は対象物から無意識のうちに価値観を変化させるきっかけを与えられる。例えば電車にて。前に座っている女性は身なりこそきっちりとしていて華奢な就活生だが、顔一面に濃く出ている疲労の影が彼女の美しさを少し損ねていると思った場合。彼女のほうれい線のちょっとしたたるみ、崩れかかったアイシャドウ。そうしたものを「見つめるあなた」は凝視したことはないだろうか。私は失礼なことだとは思うが凝視せずにはいられない。それは私が「表情は人の性格を表す」といった格言の類を信じているせいなのでもあるが、人と人、たまたま偶然に出会った者同士として少し観察をしないではいられないのだ。そこから何を得るか、私は勝手に彼女のこれまでの人生を思い描いてみたりする。彼女はお嬢様だろうか、よくいる女子大生だろうか・・・と。自然。「見つめるあなた」は海岸に立っている。夕日が煌々と砂浜を照らしていて、あたりは神秘的な雰囲気に包まれている。そんな時あなたは何を見つめているのだろうか。空間か。いずれにせよあなたが「神秘的」と感じるのは海と夕日を見てでのことである。しかし以前に同じような風景にテレビ番組で出くわしたりはしなかっただろうか。それとも過去のとある光景と照らし合わせてあなたはその時の流れに感動しているのだろうか。はたまた単純に自然の雄大さに息を飲んでいるのだろうか。何に感動しているにせよ、その働きは素晴らしいものであるのは言うまでもない。ただ私が最近勝手に危惧しているのは、その内面の情動をどうでもいいものとして扱っている人が多いのではないかということである。むろんこれは勝手な推論なので何の根拠もないし、最終的には私お決まりの自己愛的な結論に達することになるのだが(どうか頑張って最後まで読んでほしい)日常的なものであれ、非日常的なものであれ、そのことやものは、その一瞬しか起こらない。瞬間的なものだから尊いというのではなく、瞬間的なものがあなたに必ずなんらかの形で影響しているのだからもっと気を付けて見てみて欲しいということである。それが自然であれ、他人の化粧であれ、人は生きる限り何かを見つめ変化に気づく。変化に気づくのに数年かかる場合ももちろんあるであろう。しかし根気よく周りをじっと見てみて欲しい。自分でもなぜこんなことを書いて人に勧めているのか分からなくなってきたのだが、世界は様々なあり方で私にアピールをする。そうでないときは夢を見ないで熟睡できた時ぐらいである。「見つめる力」を強くせよというよりは、その時間をゆっくりと取ってみよというほうが正しいのかもしれない。いかんせん現代人は忙しいと言われるし実際にそうである以上なかなかそうもいかないかもしれない。しかし見渡すのは今自分のまわりにあるもので十分だと私は思う。「なぜ私はここに座って授業を聴いているのか。先生の表情は?隣の人の服は?シャーペンはいつから持っているもの?その錆は?窓から差し込む陽光は?」こうしたすべての事柄は「あなた」の性格の材料となっていく。何かをしっかり見ることで私たちは自分をよりよく理解し、もう少し丁寧に毎日を生きることが出来るようになるかもしれない。

 

本当はもっと感性的なことが書きたかったけどねこいたっちの能力では無理でした。とりあえずねこいたっちは物そのものとはなんぞやと最近考えているというだけです。クソ現象学気取りでした。すみません。今日のお昼は大学で動悸と戦いながら鶏弁当を食べました。マヨネーズの乗ったきんぴらごぼうが美味でした。