日記

12月16日

 

ここ最近は毎日がなんとなく楽しい。何か特別なことがあったわけじゃないけれど・・・。意識的に自分のしたいことを優先してやっていたら幸福度が高まっていたという感じだ。といってもそんなに何かすごいことをしたわけではなく、朝食やお昼に自分の好きなものを食べたりとか、学校の後にウィンドーショッピングをしたりとかそういったものだ。最近はあまり人と一緒にいたいという気持ちではなかったので基本的に一人ですることばかりだけど、毎日ちょっとした甘やかしを自分にしていたらなんとなく元気になってきた気がする。人間としては堕落していると思うし(少なくとも私の基準の中では堕落している)他の人からも何の苦労もしていないと思われているかもしれないけど、そういう自堕落なのはダメっていうのは客観的な判断であってそれを下す本人は何も私を救ってはいかない通りがかりの人なのだから関係ないじゃないかと割り切れるようになった。・・・とはいえ少しだらだらしすぎなのでどこかでしっかり立て直さねばという気もある。

 

昨日はフォロワーの誕生会&忘年会に行ってきた。大勢でのオフ会は久しぶりなのでつらくならないか心配だったが結果的にとても楽しかった。お店が座敷だったのもよかったかもしれない。テーブル席はどうも固定されてしまうような気がして苦手だ。あんなに大勢でわいわい寝っころがったりしながらはしゃいだことはない。帰りも満員の終電に揺られながらずっと余韻に浸っていた。初めて会う人もいれば、何回目かの人もいた。自分は健全に生きようと努めてきたので(健全にとはたとえば「ネットの人とは会わないようにしましょう」のような謎の道徳に従うこと)オフ会という行為にはどうしてもまだ罪悪感がつきまとう。ほんとうに楽しいのだけれど、家に帰るとなんともいえない気持ちになってしまう。ネットを介して会うというのは、例えば大学入試に通った者同士が入学式で会うみたいなものだと考えてしまえばラクになれるのかもしれないけど。まあこうした意識はネットの犯罪に巻き込まれないためにも全然ないよりはあったほうが良いのかもしれない。いずれにせよツイッターで得たものも多いし失ったものも多い。それは割愛するとして、自分は昔からネットが好きだったのでよく変なチャットやネトゲのようなものに手を出したりしていた。素性も知れぬ人とよく夜な夜なチャットをしたりしていたものだ。その時は悪いことをしているなあという気持ちはあったものの、ほんとうに友達がいなかったので暇つぶし感覚だった。あの頃よりは多少考え方が大人になった今も根本的には変わっていないのだと思う。現実の世界でゆっくり自分の話を聞いてくれる人はいないし、私自身も興味のある人以外深く知りたいと思わない。何の発展もない生活で、自分が好きなように人を選別できる場所があるのは便利だ。でもそれってすごく残酷なことで、勿体無いことでもあると最近感じている。すごく自分の性格には合っていてついのめりこんでしまうのだけど、どこかで歯止めをかけなければという気はしている。そもそもオフ会に行きだしたのもどんな人間が来るかそのドキドキを味わいたい、非日常的なものに触れたいという気持ちでありちょっとした反抗心からだったので、そろそろ日常的なもののありがたさにもう一度目を向けるべきかもしれない。もちろん素晴らしい出会いもあったし全てを後悔しているわけではない。それでもやはりネットはネットだということを忘れてはいけないと健全な私は思ってしまう。若気の至りとはまさにこういうことを言うのだろう。ツイッターは今では健全に生きてきたつもりの私がちょっとしたスリルを味わう場所だ。